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1ねんぶり・・・

  • 2016/05/15(日) 22:37:53

ほっといたら、いつのまにやら一年が経過していました(遠い目)

さて、きっかり昨年の文から一年後になります明日・・・というか今日の深夜は、ペナン沖で重巡洋艦「羽黒」が撃沈され、第五戦隊が実質解体した日になります。あのころ艦これで旗艦だった「羽黒」は改二になり、いまも旗艦をはっています。
一年前に入手した艦娘の「川内」も改二になり、いまのイベントで大活躍しています。

で、今回、一年前・・・より前から調べていた、「川内」「羽黒」に縁のある海軍提督・橋本信太郎中将についての事績記事が概ね纏まったので、せっかくだからここで一部ずつ公開していこうと思います。

以前にも書きましたが、橋本中将は戦前・戦中の評価はかなり高く、戦前の軍人月旦評『軍人わしが国さ』では「水雷戦の権威」とかかれています。また、うるさ型で「黄金仮面」とまでいわれて愛想のなかった宇垣纏中将に「不平不満なき人士は見上げたるもの」とまで言わしめた寡黙実行の将でした。

しかし、戦争末期にペナン沖で戦死したこと、華々しい戦果とは無縁の人物だったこと、なにより寡黙である意味そつのない人物だった事などから、戦後は忘れられ、独立した評伝も『水交』昭和57年12月号の吉田重厚氏のものが唯一と思われます。また、この吉田氏の文章もガダルカナル「鼠輸送」から撤退作戦指揮の時期に重点がおかれ、それまでの橋本中将については簡単に触れられる程度でした。
そこで今回は、橋本中将の生誕からその最期までを概観してみようと思った次第です。もっとも、前記の通り寡黙実行の人物だった橋本中将には回想録もなく、本人の言葉というものが余りみつかりませんでした。結果として、戦後の記録や同じ艦船、戦場で生き残った人の証言、当時の戦闘詳報などからかれの人生を文字通り「なぞって」みた程度のものとなりました。
もとより誤り不備は多くあるかと思いますが、ご笑覧いただければ幸いです。

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ヤマノススメ

  • 2014/10/13(月) 20:42:52

戦車、乗れませんでした…

昨年に引き続き、戦車を見に土浦の武器学校へいったのですが、今年は台風来襲により戦車乗車がなくなってしまいました。

代わりに、その前日に東京住まいの友人と登った高尾山が面白かったです。かつて二年も住んでいながら、なぜか一度も言ったことがなかった高尾山。単車を買ってえらくアクティブ路線に走った友人に誘われ、登山した・・・のですが。

なぜ、午後3時過ぎの、台風目前の曇天に登ったのか。

山頂まで素晴らしい曇天のなか、それでも多い登山客と一緒に登りました。途中のえらくムキムキゴリマッチョな天狗様の像や、やたらヤクルト押しの寺の石段(寄進でもしたのか、「ヤクルト」ってあの商標通りの字体で書いてある)を楽しみつつ、無事山頂に着いた時にはうす暗くなっていました。三角点で写真をとろう!と言いつつ、全然関係ない案内石板で写真を撮ってしまう痛恨のミスを犯しつつ、下山。途中は完全に真っ暗になり、

「前にね、登山の方、いらっしゃるでしょ、あ、他にも下山する人いたんだ、と思って追いつこうと足早になったんですがね、いくら急いでもね、追いつかないんですよ、全然。向こうは速度も変わってないのに…」
「おいやめろ」

と、稲川さんごっこをしつつ高尾山口に帰りつきました。ここらで名物でも食おうか、と思って駅前の店に入ろうとしたら、目前で営業時間が終了。やむなく、二人で駅前の売店で買った時間セール半額の焼きまんじゅうを駅出入り口に座って食べることに。東京まで来てなにやってんだ、とおもいつつ、土浦目指して別れました。
まあ、翌日の土浦武器学校の見学が不発だったんで、高尾にのぼってないとほんと何しに関東に来たのか分からなくなるところだったんですが。

talvisota(冬戦争)

  • 2014/02/14(金) 20:48:33

ここまでの大雪は近年なかなかありませんでした。和歌山市内までだいたい2時間。久しぶりに浜村淳の番組を聴きました。
帰りは、市内は大体溶けていたのでまあ帰れよう、と思い車で帰りましたが・・・ウチの手前あたりから路上に雪の塊が。あわせて坂を上りきれず放棄された車が。
「あ、これアカンやつや」

と思い、直ぐ様国道に切り替え、無事帰宅しました。まさに冬戦争。途中でモッティにとりこまれるかと思いました。


追記・車で帰る途中。ついトイレに行きたくなり、最寄りのコンビニを探して右往左往。なんとはなく、「突入せよ!あさま山荘事件」の長野県警幹部(伊武雅刀)を思い出しました。先に行っときなさいよ!(佐々局付)

お正月

  • 2014/01/01(水) 20:04:46


あけましておめでとうございます。
さきほど、「提督のお正月ったー」というのがあったのでやってみました。

とらいち提督の三が日の予定
【元旦】:夕張と夜戦
【1月2日】:羅針盤娘と酒飲み競争
【1月3日】:多摩と書初め
http://shindanmaker.com/421236

…だといいけど、ひとつもあたってねえ…(まず提督じゃないんで…)
とりあえず、明日から今年最初の旅にでます。

※ちなみに、実在提督の名前でやってみたところ…
南雲忠一提督の三が日の予定
【元旦】:羅針盤娘の手作りおせち堪能
【1月2日】:三隈と凧(彩雲)揚げ
【1月3日】:長良型たちと餅つき

1月3日は生き生きしてそうです。

吉川潔提督の三が日の予定
【元旦】:第六駆逐隊と羽根(魚雷)つき
【1月2日】:翔鶴にお年玉をあげる
【1月3日】:響と書初め

さすがソロモンの悪夢。そして魚雷つきとかいう謎エクストリームスポーツ。

山本五十六提督の三が日の予定
【元旦】:最上と撃ち初め
【1月2日】:黒潮の手作りおせち堪能
【1月3日】:矢矧と寒中水泳

あれ、あなた、航空屋…?

真冬の六文銭

  • 2013/12/21(土) 22:59:56

年も押し迫ってまいりました。今日はしまい弘法のため、高野山に家族で上りました…が

山上と平地の天候違いすぎ。山の上は幸が降りしきり、くそ寒いことこの上なし。しかも父の車はエアコンがぶっ壊れて外気をそのまま送風する親切設計で…凍えるかと思った。

さらに、高野山はつづら折りの道の上、右に左に振られるため完全に車酔い。気分が悪くなりました。
やむなく参ることなく下山。そのまま真田庵に行きました。関ヶ原の戦いの際に信州上田城で徳川軍を迎え討って足止めし、ために徳川秀忠に「戦下手」のイメージを定着させた真田昌幸、幸村が懲罰で流された館の跡。昌幸はここでなくなり、幸村はその後に大阪の陣に出撃するまですごしました。最近は左衛門左みたいな歴女も増え、聖地にもなっている…ようです。まあ、当時の幸村(信繁)って、当時的には中年末期~高齢者だったんですけどね。

で、真田庵にいったのか、というと、いってません。いや、両親はこの辺に関心薄いもんで。代わりに、真田庵の隣のそば屋に行きました。床の間に幸村着用鎧の複製を飾ったこのそば屋、うまかったです。しかしこの時期にそば屋というと、南春夫先生の「俵星玄蕃」を思い出しますね?


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