スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

復活、関東五大城

  • 2015/03/14(土) 10:20:47

今回の旅のゴールは、下野の要地・宇都宮をおさえる宇都宮城。鎌倉以来の名族だった宇都宮一族の居城であり、北関東の押さえだった城です。豊臣秀吉が関東の北条をほろぼしたあと、関東の大名たちを賞罰した「宇都宮仕置」の舞台にもなりました。
その後、本来の領主の宇都宮国綱も秀吉に追放され、宇都宮氏は滅亡。宇都宮城は以後もなんどか城主がかわります。
そんな宇都宮城が名を売る(?)のは、江戸のはじめにおきた「宇都宮釣天井事件」でした。当時の城主・本多正純が、自分をうとんじる将軍・徳川秀忠を抹殺するため、秀忠の泊まる部屋に釣天井(天井が縄でつり上げられており、縄を切ると天井が落っこちてきて部屋にいる人間をプチッとするしかけ)を作ったというもの。正純は改易のうえ追放されました。
ただ、釣天井はその後発見されず、正純が先代・家康のお気に入りだった本多正信の息子だったので、幕府から家康臭を消したい秀忠派に嵌められたんじゃないか、といわれています。
以後も北関東の大城郭だった宇都宮城ですが、戦災によってほとんどの施設が焼かれてしまいました。

太平洋戦争ではありません。幕末の戊辰戦争です。宇都宮城は幕府軍の生き残りや、近藤勇と別れた土方歳三ら新撰組に猛攻されて陥落。続いて奪還作戦をしかけた政府軍の攻撃をうけて再落城。この争乱で城は荒れ果て、さらに松本城すら解体、売却されかけた明治時代には完全に放置されて荒れるにまかされました。戦後の宅地開発で土塁なんかもずいぶん壊されたそうです。
そんな宇都宮城も、復活の日がやってきます。戦後の宅地開発も一段落してから、宇都宮城復元活動がはじまり、いまはお濠と櫓が再建されました。旅のスタートになった、前橋城(厩橋城。滝川一益もいた、関東五大城のひとつ)は群馬県庁舎になって土塁の一部しか残っていないのに比べれば、かなり復活しています。宇都宮城到着は夜になりましたが、残雪のなか櫓がライトアップされていてなかなかきれいでした。

スポンサーサイト

上州キャッスルパーク

  • 2015/02/15(日) 11:26:42

上泉からあと、栃木県境までは怒濤の城跡ラッシュ。一国一城令とか寝言にしか聞こえないような状態でした。
まず、上泉や大胡諸氏が陣取り、江戸の初期に置かれた大胡城。建物は一切ありませんが、小型ながら高い土塁に深く切り込まれた空堀、それに門跡に残された石垣は立派なものです。石垣あたりからは前橋が一望できます。
少しいくと中村城跡。こちらは民家の家先に、なんやら大きな溝のように空堀が残っています。
続いて膳城。城主不明な平城ですが、いりくんだ土塁が綺麗に保存されていました。
これらの城は、自転車で二時間もかからずに回ることができました。つまり、村ひとつに一個ぐらいの割りで城跡があったわけです。さきの唐沢山ではありませんが、山城ひとつに目くじらをたてた徳川幕府、こんなに城跡が残りまくっているのにぶち壊さなくてよかったんでしょうか・・・

上州の虎

  • 2015/01/24(土) 09:39:27

箕輪城
箕輪城その2
今回は群馬高崎にある箕輪城から、足利・佐野を通って栃木宇都宮まで。時間の都合上1日で駆けました。
朝は6時ごろ、前橋駅から新前橋乗り換えで群馬総社駅へ。水上から北は大雪で電車が動いていない、との話を聞きつつ、自転車を組んで西の箕輪城を目指します。遠くに榛名山をのぞみつつ、ゆるく長い坂道をこぎ上る。案外、こういう道が一番疲れます。
出たときには暗かった空も、箕輪城についたときには晴れ上がっていました。
箕輪城は戦国時代、「上州の黄斑(黄色い斑=虎)」と言われた長野業正の居城。武田信玄をして「長野業正ある限り、上州に武田の旗を立てられぬ」と嘆かせたという名将です。そのお城は榛名の山裾に続く小高い丘にあり、いまでも大きな空堀が穿たれていました。城の廻りには、長野の扇、武田の菱、小田原北条の三鱗と、関係した諸大名の紋が描かれた「箕輪城」という幟がはためいています。長野はともかく、武田に北条って敵方の旗じゃなかろうか、味方だった上杉の旗をあんまり見かけませんでした。
坂道を昇ると二の丸跡に出ます。かつて、この道は井伊直政が城主だったころに搦手として使われた道。ただ、長野時代にはここが大手だったそうです。犬を散歩する地域のひととすれ違いつつ、本丸へ。周囲はよく刈り込まれており、大きな土塁や空堀がよくわかります。本丸には忠魂碑やトイレと並び、櫓のようなものがあります。これが長野時代からの古井戸。なかから、長野一族の墓石がでてきた場所です。
長野業正が病で亡くなったあとをうけた息子の長野業盛は、再び攻勢を強める武田信玄と渡り合います。しかし利あらず、ついには箕輪城まで武田軍が押し寄せました。業盛は一族玉砕の覚悟を決め、この井戸のある郭で自決。その際、祖先の墓を敵に汚されないよう、墓石を井戸に放り込んだといいます。それがこの場所だった、というわけです。

箕輪城をでて、前橋方面へ。すでに日は高くのぼっていました。前橋市街から西に向かうと、すぐにあるのが「上泉」との地名。長野十六鎗を謳われ、のちに剣術流派「新陰流」をひらいた剣豪・上泉伊勢守信綱の生まれた町です。町の学校や駅前には「剣聖・上泉伊勢守ドラマ化!」とかかれた看板が上がっていました。凋落いちじるしいと言われる時代劇ドラマですが、やはり町おこしには十分なりうるようです。しかし、今年の大河ドラマ「花燃ゆ」は主人公が群馬県令の嫁になる話なんだから、群馬が取り上げられるのは充分じゃないかなあ、と思います。(前橋駅も前橋市役所も「花燃ゆ」押しまくってましたし、近くのTSUTAYAは初代県令の伝記をコーナーつくって売ってたし。)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。