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再びの「青の一番」

  • 2013/11/17(日) 19:37:03

空戦 (文庫版航空戦史シリーズ (11))

以前「撃墜王」で書いた、フランスの撃墜王ピエール・クロステルマンの著書その2。今回のは自身が経験した以外の第二次世界大戦の航空戦について書かれています。日本軍やアメリカ軍、ドイツ軍、そして自由フランス空軍の戦いが登場します。発刊当時(1951年。なかでは朝鮮戦争が現在進行形として登場します)はフランスで多いに売れたベストセラーだったとか。それも、あまり有名ではない戦い(開戦直後のフィリピンの戦い、ワルシャワ蜂起を助ける航空作戦など)が取り上げられています。また、前作と同じく抒情的な物語調の文章は健在で、とても読みやすいです。
今作の白眉は、やはり彼の同僚ともいえる自由フランス空軍の戦いだと思います。なかでもマックス・ゲジの戦いはすさまじかった。対空兵装でハリネズミとなったドイツ艦船にロケット弾をたたきつけ、被弾後も撤退できるところを再度突入して敢闘の末戦死するまでのくだりは熱の入った筆致で読まされました。その背後には、クロステルマンが持っていた戦中戦後の連合軍上層部…特にフランス軍の上層部に対する怒りがあったようです。ワルシャワで蜂起したパルチザンを見殺しにし、戦った自由フランス空軍のパイロットに報いなかった彼らに対する感情がここまでのものを書かせたのだと思います。
なお、クロステルマンというとあのもっさん大好きペリーヌさん。日本軍に関する記述もあったので、坂井三郎に関する記述はないか、とみましたが…ないんだな、これが。ただ、山本五十六に関する評価はとても高く、ソロモンの戦いでは彼の作戦により米軍は質量で勝ちながら煮え湯を飲まされた…と、なんか過大評価とも思える記述がありました。

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自衛隊と日本軍と

  • 2013/10/27(日) 19:19:41

土浦、続きます。
土浦武器学校には、陸上自衛隊歴代の主力戦車や戦闘車両が展示されています。アメリカからの払い下げだったシャーマン・イージーエイトにはじまり、ゴジラに水飴のように蹴散らされた61式戦車や74式戦車、さらに10式が投入されるまで最新型だった90式戦車まで。
三式中戦車

また、日本軍の車両では本土決戦に備えた三式中戦車チヌ、「ガルパン」では見せ場なく撃破されたあの戦車の唯一現存車両がありました。八九式に比べたらたしかにシャーマンに対抗できそうな大型砲。車庫のなかに収まっていましたが、それでも重い存在感がありました。
零戦搭載機銃

土浦武器学校は、その前身は日本海軍航空隊のパイロット養成所、予科練です。そのため、基地のあちこちに予科練の名残があります。
たとえば、今回の機甲部隊演習を自衛官の偉いさんが演習展示をみている台。実は、予科練時代に教官や校長が練習生に訓示したり体操を監督した台座なんだそうです。かつては山本五十六なんかもこの壇上にたったのでしょうか。他にも、古そうな建物がありましたが、それも予科練の残存施設。医療部門が入っていたそうです。
その横をばく進する陸自戦車部隊。自衛隊、特に陸上自衛隊は日本軍の影響を極力排除したがったといいますが、土浦ではどちらもが混ざりあっているように思えます。

戦車のある学園生活、はじめました

  • 2013/10/06(日) 22:26:17

今日は朝から、陸上自衛隊武器学校の基地祭にいってきました。武器学校はその名の通り、自衛隊の武装や装備運用の教育機関だそうですが…旧軍の兵器や自衛隊の武器もたくさん保存している、軍事博物館な面もあります。普段は許可とらないと入れないのですが、今日は一般開放日。しかも普段ならひっこめてる装備も出してくれる、ついでに戦車の戦闘訓練も見せてくれる!!

いつ行くのか、今でしょ!!(即答)
ということで、小雨降る朝八時から基地前に並んで(まさかの一時間前から行列)、開門と同時に中に入りました。

他の人は開門ダッシュで基地の奥へ。戦車の体験乗車企画があるので、その券をもらいに行ったようです。一時間待ちの行列はそのためだったんですね。あれ、並ばなくてよかったじゃん…

そんなみなさんを尻目に、最初に目指したのは…
八九式中戦車


旧日本陸軍が初実戦投入、あの「軍神」西住戦車長も乗っていた「八九式中戦車」。『ガルパン』ではアヒルさんチームが乗っていたアレです。こいつ、実は動きます。『ガルパン』スタッフがアニメ制作当時に乗って戦車のイメージをつかんだのがこの車両だそうで。作中でもなにかと雑魚扱いの戦車でしたが、たしかに
シャーマン戦車
サンダース附属の主力だったこいつなんかに比べると可愛らしい…なんか、軽トラと中型トラックを見ているような…いや、投入時期違うんだからしょうがないですけどね。

そうこうしているうちに、基地祭開会式典がおわり、広場の奥の林から地響きのような音がしてきました。いよいよ戦車や装甲車の実戦訓練展示です。
発砲準備
映りは悪いですが、この砲はこの直後、空めがけて大音響の砲声を響かせました。
直後に対空ミサイル登載車がミサイルを回し、敵に照準をつけます。
そして真打、90式をはじめとする戦車部隊が登場…って

速ええ!!

土を跳ね飛ばしながら地響きたてて走り回ります。そして停車。マイクが付いているのか、車長の声らしいのも聞こえます。「弾種徹甲!!」
アナウンスが大きな音に注意してください、と言った直後、擬音でいうなら

だーん!!!

としか言いようのない破裂音。空気が震えました。雷のよう、と形容されますが、それとはまた違い、なにかがはじけたような轟音でした。そりゃ華さんも「しびれますわあ…」とかいいますね。

そこからも戦車破損→、回収・援護訓練、攻撃ヘリの地上制圧訓練、装甲車からの歩兵下車、突入制圧訓練など、一時間程度のプログラムがあっと言うまでした。
これがリアル戦車道か…
対地攻撃
これが対地攻撃寸前の攻撃ヘリです。

平凡?軍神?西住大尉

  • 2013/09/08(日) 21:38:46


菊池寛『昭和の軍神・西住戦車長傳』(昭和14年)
中島亦雄『軍神西住大尉と御船中学』(昭和14年)


さきの東京遠征でゲッツした2冊。

西住小次郎はご存知「ガルパン」の西住みぽりんのモデルであり、彼女をはじめとする西住流戦車道の開祖とされた人。日中戦争に八九式中戦車を駆って戦い、徐州会戦にて戦死した人物です。戦死後、上官の細見惟雄部隊長がラジオで西住大尉の武勲を話したことで名前が広まり、「昭和の軍神」となりました。一冊目は、その軍神の足跡を菊池寛が描いた伝記小説。部下や上官の談話や手紙を中心に、西住の人物像を描いています。
西住大尉は敵の弾丸降るなかクリークの水深を計り(ガルパンでも、みぽりんが単身外に出て車外を偵察する場面がありましたが、このあたりに準拠してるのかもしれません。)、無名集落での民家改造陣地の戦いでは、戦車をぶちつけて陣地の壁を崩して陥落に功績ありました。
ただ、どちらかというとその人柄ー露営のときは部下がよく寝られるよう、壕で寝させて自分は戦車の下で寝たり、部下が自分の戦果を吹聴したときには「いらんことを言うな」と怒る謙譲さがあったり、行方不明になった部下を敵地で探し歩く、部下思いで勇猛な帝国軍人としての姿が主に描かれます。菊池寛はこの伝記を書くにあたり、西住が活躍した古戦場や戦死の地、彼の生まれ故郷や出身中学にも出向いて取材をしていました。
二冊目は、その出身中学、御船中の校史と軍神西住の学生時代を描いています。今からすれば大概なスパルタ話ー雨でも隊列を組んで一糸乱れず行進して行う「遠足」、夏でも制服のボタンははずしてはならない、時には体罰も必要ーなど、御船の教育方針(著者の方針?)が書かれています。まあ、よその学校では「生徒に体罰なんかしたら大変なことになる」と書かれているあたり、大正末から昭和初年でも体罰については、保護者との軋轢を生みやすかったのでしょう。よく言う「昔の親は先生に殴られても自分の子が悪いと思った」というのは、決してみんながみんなそうではなかったようです。
また、この本は西住の中学時代の成績表や出欠情報まで載せています。個人情報?なにそれ、な時代だったのか・・・いろいろ時代を感じさせます。

で、西住の学生時代ですが。軍神軍神と持ち上げられているのだから、さぞ偉大な人物、若いうちから偉大なエピソード満載か…と思いましたが、学校の先生から同級生まで「まじめな男」「これといって目立つことはないが、級長としてクラスをうまくまとめていた」「努力のひと」といった、「偉大な凡人」という扱いでした。司馬遼太郎も戦後に「西住戦車長伝」を書いて、そのなかで「西住は取り立てて才能のない、従順そのものの少年であった」と書いているそうです。司馬遼太郎も戦前の教育を受けているので、西住のボンヘイっぷりにそんな評価を下したのかもしれませんが、戦前の上記のような教育を行っていた学校で好成績をあげていたり、足ぶち抜かれても戦車で前線に立つ(太平洋戦争時期じゃないんだから、後送して国内で治療受けられたはず)あたり、充分非凡じゃないか、と思うんですがね。彼が「軍神」になったのも、戦果云々より華々しい最期と普段の素行が「国民教育に良い」と思われたからなんじゃないでしょうか。

まあ、戦後には彼を知るひとは
「軍神なんて祭り上げられるのは、西住の性格的に本人は嫌がっただろう」
といってますし、自分もこの二冊、特に菊池寛のほうから浮かぶ西住大尉像からは、「神様」扱いを喜ぶようには見えませんね。

「紀州海軍」の末裔

  • 2013/06/29(土) 20:01:17

かつて、「紀州海軍」という言葉があったという和歌山は、多数の海軍軍人を輩出しました。旅順閉塞作戦を指揮した有馬良橘、開戦前の日米交渉を行った野村吉三郎などです。その最後の一人、といえるのが橋本信太郎中将です。
和歌山市冬野地区。橋本は和歌山市と海南市の境目の、この田園地帯に産まれでした。実家は農家だったようですが、当時から出来がよかったのでしょう。地元の安原小学校から、和歌山中学(今の桐蔭高校。今の桐蔭と違い、和歌山城すぐ南側に建っていました。南方熊楠が有名OB)に進学し、そこから海軍兵学校に進みます。同期生には戦艦「大和」艦長を務めた高柳儀八や、大森仙太郎・木村昌福・草加龍之介・田中頼三など、太平洋戦争を中心になって戦う提督たちがいました。
海兵を終える最終学年には「明治天皇崩御」、任官すぐには「第一次世界大戦勃発」で南遣艦隊に乗り込むなど、明治末期からの激動に巻き込まれていきます。
駆逐隊司令として参加した演習では、指揮下の水雷艇「友鶴」が転覆事故を起こしたりしています。結果的には、「友鶴」の構造(武器を積みすぎたために重心が高く、高波に弱い)に事故原因があり、処罰はなかったようです。
そして、昭和十六年の太平洋戦争開戦。少将になっていた橋本は、南方作戦の第一撃、コタバル上陸作戦の護衛艦隊司令として、軽巡洋艦「川内」に乗り込みます。南雲機動部隊の真珠湾攻撃に先立つ、太平洋戦争開戦のその場所に居合わせたのです。以後、スラバヤ海戦(敵艦をみつけたとき、シコを踏んで気合いをいれたとか)ミッドウェーでの本隊護衛など、著名な作戦に参加。なかでも、ガダルカナルへの「ネズミ輸送」と「ケ号作戦」ガダルカナルからの撤退作戦を予想以下の損害で成し遂げ、評価をあげました。
そして、レイテ海戦では第五戦隊を率いて「大和」以下の栗田艦隊の一員として参加します。サマール島沖でアメリカ軽空母部隊と遭遇し、「大和」などを後目に「羽黒」で突進。猛砲撃を浴びせましたが、栗田司令部からの反転命令をうけ、撃沈はできませんでした。
そして、「大和」も沈み、連合艦隊が壊滅した昭和二十年五月、シンガポールからアンダマン島への海上輸送中にイギリス駆逐艦隊と交戦。輸送物資を満載していた重巡「羽黒」と駆逐艦「神風」だけではいかんともならず、「羽黒」艦上で戦死しました。この海戦が、日本海軍最後の艦艇戦闘となりました。

かよう、太平洋戦争の節目節目に登場して活躍した橋本中将ですが、戦後の注目度はあまりぱっとしません。戦中の評価がいまひとつだった田中頼三(ルンガ沖夜戦で活躍)、木村昌福(ガダルカナルとならぶ「ケ号作戦」、キスカの撤退作戦を指揮)などが注目されるのとは好対照です。やはり、華々しい海戦での活躍がなかったからでしょうか…
ちなみに、『提督の決断Ⅳ』に出てくる橋本はすごく温和そうな顔してますが、どうもモデルが戦史叢書の軍帽かぶった写真からとったもののせいか目つきが全然違ってたりします。


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