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紀伊最大級

  • 2014/01/27(月) 21:06:08

今日はいつも北向・・・県外にばかり目を向けるので、逆に南は和歌山最大の山城、手取城にやってきました。戦国末まで、この地域を治めた玉置一族の城。雑賀城とならび、「信長の野望」にも登場します。
最寄りの和佐駅前で地図を見ていたら、タクシーのおっちゃんが教えてくれました。親切。ただ、遠いよ、と言われた通り、町中から山道に入る目印のお寺から結構歩いても目処がたちません。また迷ったか・・・と思った矢先、目の前に「手取城跡」の看板が。新旧二つの看板が併設されていましたが、古いほうは「ここから一キロ」新しい方は「一・二キロ」。地味に距離が正確になっています。
そこから林道・・・といっても整備された道をあるいて、少し汗かいたくらいで山頂到着。案内板の裏に回ると、石垣のない、いわゆる中世の山城が現れました。いたるところ、人が削って平らにした郭、空堀。天気もよく、風も気持ちいいです。向こうには紀伊水道が望める景勝でした。山地にひっそり残る大型城はいつかの飛弾松倉城を思い出しました。

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天才軍師の最期

  • 2013/03/16(土) 23:07:38

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金物の資料館をでてから、近くの「雲龍寺」にある別所長治夫妻の首塚にお参り。かつてはこのお寺も城内にあり、三木城が開城したとき、ここで長治は自決したといわれています。雲龍寺では毎年1月17日の長治の命日には、うどんを食べて先人を偲ぶんだとか。なんでうどんかって?ホラ、城兵は藁食って飢えをしのいだけど、流石に今藁食うわけにいかんでしょ?だから、みた感じ藁っぽいうどんを食べるそうです。
資料館でもらった地図をみると、このお寺をはじめ、高台全体がかつて三木城だったようです。かなり大規模な城郭。そりゃ力押しはできんわな。
そのまま山を下り、東へ向かいます。途中、正入寺(旧三木城、別所治定の館跡)を通り、羽柴秀吉本陣のあった平井山へ。三木合戦の折りには、別所軍による本陣強襲で激戦があった場所です。この戦いは「センゴク天正記」にも描かれていました。正入寺あたりに住んだ別所治定は、ここで討ち死にします。そしてこの地は、後世に「天才軍師」と謳われた竹中半兵衛が陣没した場所でもありました。
資料館のおっちゃんに訊いた道をたどり、恵美須町駅前の通りを左に入ると、竹中半兵衛墓所の案内板が現れました。そこから道をたどって川をこえ、少し登り坂をあがって汗を少しかくくらいに行けば、白壁で囲われた一角がみえます。これが竹中半兵衛のお墓でした(写真)。
いろんなメディアで病弱の天才軍師、とされる半兵衛ですが、その逸話は斎藤の家臣時代、シッコかけてきた斎藤龍興の寵臣を稲葉山のっとりついでにぶち殺したり、軍談の最中に小用に立った息子に「軍談の最中に小用ごときで席を立つな、ここでしろ!!」とか激怒するなど、なんか熱血な人だったのではないかと思います。

しかし、なんでこの人には小便がらみの逸話が多いんだろ?

このお墓の裏山、すこし小高い山が秀吉本陣です。のぼっていくと、てっぺん付近に本陣跡の看板があります。しかし、その場所は人一人でも生活できなさそうな狭い空間。山全体が陣地跡だったそうですから、ここは三木城を監視する見張り陣地だったのかもしれません。薮や木で遮られていましたが、そんなものが取り払われていたであろう当時、ここからなら三木城の様子もうかがえたことでしょう。三木市観光協会発行の「探訪三木合戦」では、秀吉本人はこの陣地近郊にあった長福寺とかいうお寺で生活していたのでは、とされています。

帰りも神鉄線に乗ってきました。かなりの赤字路線らしく、駅や車内の乗車呼び掛けがかなり必死。うちの近所の路線も他人事ではありません。
みんな、神鉄に乗ろう。

別所氏と刃物の町

  • 2013/03/16(土) 23:03:07

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大阪駅から電車に揺られて加古川で乗り換え、加古川から粟生(あお)で神鉄線に乗り換え。播州三木城跡にやってきました。
神鉄線上の丸駅裏、すぐのところに階段があり、白壁の塀が見えます。もちろん最近の再現ですが、ここが三木城本丸と伝わる場所です。本丸跡には、戦国時代の城主・別所氏の家紋入り鐙がみつかった「かんかん井戸」や、別所長治の石像(史実を反映した像ではありません、って立て札が良心的)なんかがあります。
また、隣接して、三木市の伝統工芸品である大工道具や刃物の博物館がありました。なんで三木は刃物が名産か?おっちゃんに話を聞くことができました。

話は戦国時代末期にさかのぼります。当時、三木城を中心に覇をとなえた別所氏は、東から攻めこんできた羽柴秀吉と戦います。堅城の三木城に力攻めは不利とみた秀吉は、城の回りを陣地で囲んで兵糧攻めを行いました。名高い「三木の干殺し」です。三年近い兵糧攻めで、城の壁まで食べるほど(土塀に入っている藁を食べた)になった有り様をみた城主、別所長治は自らの自裁、三木開城とひきかえに、三年の戦乱で荒れ果てた三木の再建を求めました。秀吉は長治の願いをうけいれます。秀吉は三木に鍛冶屋を誘致し、大工道具や刃物を作らせるようになりました。ここから、「刃物の町」三木がはじまったのです。

・・・多分、伝承のようで事実かはよくわかりませんが、たしかに、橋の欄干なんかにも「鍛冶のまち」とか書かれていました。また、このあたりでは鉄鉱石はとれないようですが、どうも中国山地からとってきていたのでは?とのことでした。隣の備中長船が日本刀が有名ですから、そのへんとの関わりもあるかもしれません。
そんな三木市ですが、来年の大河ドラマは播州出身の「黒田官兵衛」。三木城攻めの遺構も史跡登録され、来年度あたりから史跡整備もされるかもしれないなど、なかなか今後発展が期待できそうです。
(写真は三木城内にあった、長治自決の場所「雲龍寺」にある長治夫妻首塚)

天空の荒城(海抜的な意味で)

  • 2013/03/10(日) 20:32:51

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歴史群像 2013年 04月号 [雑誌]

飛騨・三木一族

毎号楽しみに買っている歴史群像ですが、今回の「戦国の城」コーナーをひと目みてのけぞりました。
飛騨高山の「飛騨松倉城」が載っとる…!!

思い返せば昨年夏、飛騨高山~信濃松本間自転車旅において、高山での目標の一つがこの松倉城でした。古本市で見つけた本で姉小路氏(本来の姓は三木(みつぎ)。後に飛騨国司の姉小路姓を名乗る)の歴史を知り、『信長の野望』でのイケメンな姉小路自綱(よりつな)の顔芸寸前のさわやか笑顔にもひかれ、飛騨に向かったのです。
(なお、当時流行の『氷菓』舞台が飛騨高山だったことも無関係でない)
松倉城に上ったのは、高山陣屋と高山城を見た、そのあとでした。高山陣屋側から駅を挟んで反対側にある、農道のような道を上っていきます。真夏の高山盆地、くっそ暑かったのを覚えています。
自転車を押し押し、ようやっと松倉城前の「松倉シンボル広場」についた時はもう夕方。公園に自転車をおいて、人っ子一人いない山道に入ります。途中、蛇の動く音や蚊の羽音を聞きつつ、

「おのれ姉小路、これでしょうもない遺構だったら、どうしてくれよう…!!(理不尽)」

と思いながら、堀切跡を抜けると。

藪の向こうに、大きな石が。

「…?」

近くによっていくと…姿を現したのはそびえる石垣!!(写真)
正直、規模を期待していなかっただけにより巨大に見えました。

そこから石垣をこえると、城郭の石垣群が見えてきます。その威容は、かつての高山市街を睥睨した松倉城の名残でした。
ここに強盛を誇り、一時は飛騨一国を手中とした姉小路氏は、越中佐々成政と組んだために豊臣軍司令官・金森長近に滅ぼされ、消えていきました。その後も金森の飛騨防衛用要塞として機能したようですが、いつしか廃城。いまや市街からも離れ、(新緑のころには結構人も来るようですが、夏の夕方だったこともあり)人もあまり来ない城跡は、インカかアステカの要塞遺跡を連想させました。

いままで、いくつかの城を見てきましたが、ここほど「荒城」風情のあった城跡はなかったように思います。飛騨に行く機会があったら、また行ってみたい城です。

ナルトと古城・犬山城

  • 2013/02/12(火) 21:22:06

岐阜城で案外時間を食いました。続いてバスで名鉄岐阜駅から犬山遊園に向かいます。
目指すは国宝天守の城、犬山城。川のほとりにちんまり建つ城です。

4時ごろに犬山遊園に到着。電車からも天守が見えていましたからそんなに遠くないのでしょう。
川沿いに歩くと見えてきました。小高い丘の上に天守がそびえます。

急ごう、と、神社の近道案内を見ながら進むと、稲荷神社の千本鳥居のところで記念撮影している外国人に遭遇。
撮影の邪魔にならないよう、いったん退くと、きれいな日本語で「スミマセン」といわれました。
見れば、どうも「ナルト」っぽい法被のような衣装を着ています。日本の漫画でも人気があるそうですから、そのファンの人なんでしょうか。
ジャパニメーションの浸透っぷりに感嘆しつつ、犬山城入場口までくると。目の前で城門が閉まりました。

え、なにこれは…?案内板を見ると、「開場は16:30まで」。時計を見ます。過ぎてる…

なんとか天守を拝もうとしましたが、木々でかくれて見えず。電車の時間もあるゆえ、撤退。
帰りの駅で購入した「ジョージア・でら珈琲二代目(甘さ控えめ)」を飲んで、

「まったく控えとらんわ!!」

と八つ当たりしつつ、帰るハメになりました。無念。


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