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今年度は歌の旅

  • 2014/09/23(火) 21:35:15

なんにもなかった夏が終わり、秋。涼しくなりました。今年も奈良攻めに向かいました。
今年は去年の宿題、斑鳩は法隆寺を目指します。まずはいつも通り、かつらぎから橋本、五条を経由して三在交差点へ。そこから右に曲がり吉野へ向かいます。
ここで変更。吉野川を渡り対岸へ。「咲」の聖地(?)阿知賀へ向かいました。
このあたりは奈良のサイクリング道になっているようで、自転車乗りの人何人かとすれ違いました。
吉野川に沿ってしばらく進むと、阿知賀地区の案内板がでてきました。阿知賀は本編で聖地になった吉野山とは違い、普通の集落です。小高い丘の上に古墳時代末期の小型古墳があるくらいでしょうか。ただ、思っていたより広い地域でした。
阿知賀からはまた細い橋を渡って対岸へ戻り、日本百名城・高取城の近くを抜けます。一昨年でしたか、いまくらいに登った、石垣の立派な近世山城です。
高取を抜ければ、そこは明日香村。更に橿原を経由して北上し、斑鳩に入ったのは出発から5時間くらいがたった2時頃でした。案外、橿原から斑鳩までは近かったです。斑鳩に入る陸橋から、五重塔が拝めました。そして、法隆寺へ。近くの観光案内所に自転車をおき、寺に入ります。
法隆寺といえば

柿食へば
鐘が鳴るなり
法隆寺

の、正岡子規の俳句。早速柿を食おうとしたのですが・・・

柿が売ってへんやん!!
あまりといえばあまりな仕打ち。やむ無く、五重塔を見上げ、団体観光客のガイドの話を聞きつつ廻りました。いい天気だったのは救いです。
法隆寺はかつて
「田舎のど真ん中にそれだけがドーンと建ってる、がっかり名所」とかいった人がいましたが、どうして、まわりもいい雰囲気の街並みでしたし、寺も大きく、時代を感じさせるものでした。松本城に通じるものがありました。

続いて、法隆寺から一キロほど過ぎた龍田川へ。龍田川はかつて歌人・在原業平が

ちはやふる
神代もきかず
龍田川
からくれないに
水くくるとは

と詠った川。揚げ物「龍田揚げ」の由来として、最近ではヤンデレで知られる軽巡洋艦「龍田」の名前の由来でもあります。ちなみに奈良が由来の軍艦は当然の「大和」をはじめ「龍田」「大淀」「吉野」「畝傍」なんかがあります。まあ、「畝傍」は、ね・・・
龍田川自体は岸が公園になっていて、紅葉が植えられていました。川自体は細く、紅葉が多かったら紅くなりそうな感じがしました。最後に、さきの在原業平の歌碑をみて、法隆寺駅から輪行。和歌山線の終着駅、王寺駅が案外でかかったことに驚きつつ幕となりました。

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まぼろしの将軍様

  • 2014/09/07(日) 19:33:55

伊那史料叢書1「信濃宮伝・浪合記・伊那郡旧記抜書・堀氏代々家伝記」
(信濃教育会下伊那部会編纂・大正四年)

鎌倉と室町に挟まれた南北朝時代、朝廷が二つに別れたなら将軍も二つに別れていました。一方は北朝を奉じる室町幕府、足利家。
もう一方が、南朝が任命した将軍たちでした。こちらは護良親王に象徴されるように、親王が任命されています。征夷大将軍に武家以外が任官するのは以外なようですが、前の鎌倉時代に六代宗尊親王から最後の守邦親王まで3人は「親王将軍」といわれていましたから、当時の人には武家将軍より馴染みがあったかもしれません。
護良親王は父の後醍醐天皇と対立して鎌倉に追放された後暗殺されますが、その後も将軍は置かれます。この本の主人公、尹良親王(ただよし しんのう)もそのひとり。信濃宮といわれた宗良親王と井伊谷の豪族・井伊氏(のちに徳川四天王・井伊直政や大老・井伊直弼をだす)の娘の間に産まれ、新田氏らと関東を転戦。しかし利あらず、信濃から井伊谷方面に撤退しようとしたところを、信濃浪合の集落で捕捉され、辞世の句

思いきや 幾瀬の淀を しのききて この浪合に 沈むべきとは

と詠んで、合戦の末に自決しました。

・・・いや、したとされています。実は、この尹良親王はこの「浪合記」以外に伝記も記録もないらしく、本当に征夷大将軍だったのか、そもそも実在したのかすら不明です。この本が刊行された大正の時点でも「浪合記」の内容は「俗間に流布すること頗る多けれども、書中記載の事実動もすれば荒唐無稽にして史家の採らざるもの多し」として、伝説を記録したものではないか、としています。
ただ、いまの長野県浪合には尹良親王のお墓もありますし、彼を祀る神社もあります。だから、まったくの作りごとってわけではないようです。
あと、この「浪合記」によれば、尹良親王には子供がいて無事逃げ延び、尾張津島に土着したとか、親王に仕えた世良田氏は、のちの徳川氏の祖先であるとか、これまたホントかどうか謎なことが書かれています。謎なのは親王本人だけではないようですね。


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