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天才軍師の最期

  • 2013/03/16(土) 23:07:38

3.jpg

金物の資料館をでてから、近くの「雲龍寺」にある別所長治夫妻の首塚にお参り。かつてはこのお寺も城内にあり、三木城が開城したとき、ここで長治は自決したといわれています。雲龍寺では毎年1月17日の長治の命日には、うどんを食べて先人を偲ぶんだとか。なんでうどんかって?ホラ、城兵は藁食って飢えをしのいだけど、流石に今藁食うわけにいかんでしょ?だから、みた感じ藁っぽいうどんを食べるそうです。
資料館でもらった地図をみると、このお寺をはじめ、高台全体がかつて三木城だったようです。かなり大規模な城郭。そりゃ力押しはできんわな。
そのまま山を下り、東へ向かいます。途中、正入寺(旧三木城、別所治定の館跡)を通り、羽柴秀吉本陣のあった平井山へ。三木合戦の折りには、別所軍による本陣強襲で激戦があった場所です。この戦いは「センゴク天正記」にも描かれていました。正入寺あたりに住んだ別所治定は、ここで討ち死にします。そしてこの地は、後世に「天才軍師」と謳われた竹中半兵衛が陣没した場所でもありました。
資料館のおっちゃんに訊いた道をたどり、恵美須町駅前の通りを左に入ると、竹中半兵衛墓所の案内板が現れました。そこから道をたどって川をこえ、少し登り坂をあがって汗を少しかくくらいに行けば、白壁で囲われた一角がみえます。これが竹中半兵衛のお墓でした(写真)。
いろんなメディアで病弱の天才軍師、とされる半兵衛ですが、その逸話は斎藤の家臣時代、シッコかけてきた斎藤龍興の寵臣を稲葉山のっとりついでにぶち殺したり、軍談の最中に小用に立った息子に「軍談の最中に小用ごときで席を立つな、ここでしろ!!」とか激怒するなど、なんか熱血な人だったのではないかと思います。

しかし、なんでこの人には小便がらみの逸話が多いんだろ?

このお墓の裏山、すこし小高い山が秀吉本陣です。のぼっていくと、てっぺん付近に本陣跡の看板があります。しかし、その場所は人一人でも生活できなさそうな狭い空間。山全体が陣地跡だったそうですから、ここは三木城を監視する見張り陣地だったのかもしれません。薮や木で遮られていましたが、そんなものが取り払われていたであろう当時、ここからなら三木城の様子もうかがえたことでしょう。三木市観光協会発行の「探訪三木合戦」では、秀吉本人はこの陣地近郊にあった長福寺とかいうお寺で生活していたのでは、とされています。

帰りも神鉄線に乗ってきました。かなりの赤字路線らしく、駅や車内の乗車呼び掛けがかなり必死。うちの近所の路線も他人事ではありません。
みんな、神鉄に乗ろう。

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この記事に対するコメント

天才軍師の墓ですか!
ここでションベンしろって・・・。す、すごいなぁ。

  • 投稿者: 朱飛
  • 2013/03/17(日) 06:36:23
  • [編集]

Re: タイトルなし

もし、次回の大河ドラマで竹中半兵衛がでるなら、松岡修造みたいな人物像でやってほしいです。
「織田包囲網ぐらいであきらめんなよ!あきらめんなよお前!!」的な。
なお、『信長の野望』ではこの息子に激怒エピソードがプレイヤー武将共通の歴史イベントとして収録されており、プレイヤー武将が自分の息子(恐ろしいことに、姫武将の場合は娘に対しても)に「軍談の途中で席を立つな!!漏らしてもかまわん、武士なら誉れぞ!!」というシーンがあります。

  • 投稿者: とらいち
  • 2013/03/17(日) 20:17:30
  • [編集]

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