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両面スクナの国

  • 2014/02/25(火) 21:59:42

飛騨中世史の研究

自転車で走って実感しましたが飛騨高山は山深く道細く、大政治勢力が育ちにくい土地に思われました。そういう土地はえてしてユニークな小勢力がうまれます。紀伊の雑賀衆しかり、信濃の真田・諏訪一族しかり。飛騨は古代には顔を二つもち、飛騨山中を跳梁して討伐された、両面スクナという怪物が生まれています。飛騨と信濃の境にはそのスクナが御飯をもった石が残っていたり、スクナが仏として祀られているお寺があったりします。そこの住職さんに話を聞く機会がありましたが、「スクナは大和朝廷からは賊軍扱いされてるが、飛騨の人には文化をもたらした英雄とされてます」とのこと。大和南部や熊野にも「まつろわぬ民」がいたようですが、山地ってのはどうにもそういう反中央権力志向になるようです。
さて、飛騨では戦国時代には国司姉小路一族をトップに三木(みつき)、江馬、内ヶ島の勢力が分立していました。そのひとつ、三木氏は三木直頼の時代に江馬や姉小路を押さえ、飛騨の最大勢力となりました。その子、三木良頼と自綱は国司の姓、姉小路を名乗り飛騨に一大権力を打ち立てます。
しかし、本書ではこの二人への評価は芳しくありません。連邦型に諸勢力を調整することで飛騨を安定させた祖父、三木直頼に比べ、名門・姉小路家の家名を簒奪し、飛騨の独裁者になろうとした良頼。江馬氏を滅ぼし(天正十年、八日町の戦い。飛騨史上初の鉄砲戦があったとか)、ついには対立した嫡男を自決に追いやった自綱。「信長の野望」では爽やか笑顔の自綱ですが、やってることは専制志向の暴君、という評価です。遂には豊臣秀吉に対抗できる、と自己を過大評価して秀吉の部下、金森長近に鎧袖一触でふっとばされる・・・
紀伊や信濃も覇権勢力(豊臣や武田)と激突し、粉砕されていった過去があります。ただ、紀伊は雑賀孫一、信濃は真田一族といった後世に「英雄」とされた人々がいました(バサラなんかがはやる前は、孫一の名前を「ざっかまごいち」と読んだ友人もいましたが)。飛騨にも中世の両面スクナのような人がいないものでしょうか。地元の人から見たら、この三木姉小路氏への評価はどんなものなんでしょう。

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