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前哨戦・杭瀬川の戦いと軍師の町

  • 2014/06/07(土) 13:10:02

さて、小山から一年後。

今年の5月は、関ヶ原の手前、大垣からはじまりました。名古屋から北へ向かい、大垣駅を経由。そこから乗り換えて西大垣駅に向かいます。乗り換え時間が少なかったので走らざるを得ません。

西大垣に向かった理由・・・まず、目的の大垣城が近かったことと、西大垣にはレンタサイクル「水都号」があるからです。大垣市内各所に配置された自転車で、なんと1日無料(返却時間は各配置所で違います)。駅で身分証を出し、必要事項を紙に書けば鍵を貸してくれます。いかんせん、放置自転車を改装してるので少々ガタはきているのもありますが、市内回るには充分です。
それに乗って、まずは大垣城跡へ。今でこそ小振りな大垣城ですが、平城跡のご多分にもれず、かなりの部分が市街地になっていまして、本当は結構大きかったようです。復元天守閣のなかの史料館では、関ヶ原の戦いでの前哨戦についての展示もありましたが、加えて江戸時代に大垣藩主をつとめた戸田家を推していました。門前にも大垣藩戸田家初代の騎馬像が立っています。
さて、そんな大垣城も、やはりハイライトは関ヶ原。天守閣上段の展望台には、関ヶ原のほうを見る観光客が多くいました。
大垣城に布陣した西軍は、家康率いる東軍が大垣城外に展開したのを知ります。まずはひとあて、と、宇喜多秀家の重臣・明石全登(あかしてるずみ)や「三成に過ぎたる」家臣の島左近らが東軍を誘いだし、城の西側を流れる杭瀬川河川敷で激突しました。
その杭瀬川は、大垣城をでて20分もしないうちに橋を渡る小川です。橋の上は銀杏のような臭いがしていました。
このあたりで島左近隊は東軍の中村、有馬隊を挑発。敗けて逃げるように偽装し、杭瀬川河川敷に誘導して、伏兵にしていた島本隊と明石隊をぶつけて撃破し圧勝しました。
そんな第一ラウンドの舞台を抜けると、垂井町に入ります。ちょうどお祭りがあったようで、山車が町中を練り歩いていました。
この垂井町一帯は、戦国以来、竹中家が治める領域でした。竹中半兵衛の家ですね。近くには半兵衛居城の菩提寺山城跡もあります。いま流行りの「軍師」黒田官兵衛の息子、黒田長政が信長の命令で処刑されそうになったとき半兵衛にかくまわれたのがここでした。長政はその後、関ヶ原で半兵衛の息子の竹中重門を伴って従軍しています。
関ヶ原後、竹中家はこの地に陣屋を構えて幕末までを過ごし、戊辰戦争鳥羽伏見の戦いでは、幕府軍先鋒の指揮官として出撃しています。

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