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古代の決戦、中世の激戦、近世の決戦

  • 2014/06/16(月) 22:10:36

大垣から関ヶ原まで、農道が続きます。続いて出てきたのが、桃配山。徳川家康が最初に本陣を敷いた小高い丘です。三つ葉葵の幟がはためくなかを登ると、てっぺんには家康が指揮をした腰かけ石が残っています。なんか、京都には弁慶の腰かけ石があるし、天目山には武田勝頼の思案石(石の真ん中あたりに武田の菱紋が浮かんでるとかなんとか)があるし・・・古戦場や史跡ともなると、路傍の石にも名前がつくようです。
なお、この桃配山の名前は、家康が決戦を戦ったはるか前、古代日本最大級の内乱だった「壬申の乱」で、大海人皇子軍がこの地に陣をしいていたことに由来するそうです。大海人は自軍の兵士に景気づけに桃を配り、元気づけたとか。それが由来となって、この名前がついたそうです。関ヶ原近辺はこれ以外にも、南北朝時代に北畠顕家が北朝軍と激突した戦場でもありました。東海地方から畿内に進撃する軍を待ち受ける際、伊吹の山によって通行路が限定されるこの一帯は、畿内防衛軍にとって格好の迎撃地点でした。それが、いくどもの会戦の舞台となったのでしょう。戦国時代の架空戦記なんかで、どんな戦いでもとりあえず最終決戦は関ヶ原、って展開が多いのも、故なきことではないのかも知れません。

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