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文弱?名君?右大臣実朝

  • 2014/08/04(月) 21:51:21

源実朝 「東国の王権」を夢見た将軍 (講談社選書メチエ)

源実朝といえば、頼朝以外はかげの薄い鎌倉将軍のなかにあって、まだ名前の知れた人物です。ただし、本職以外の面で。そう、和歌においては一種の天才だったとの評価らしいですね。自前の和歌集なんか作ってるくらい。じゃあ本業の将軍職はどうだったか、というと、母親の実家・北条執権に権力を握られてほとんど傀儡で、正直嫌気がさして中国へ船作って逃げようとしていた、とも言われます。また、最期が雪の降る鶴ヶ岡八幡宮で甥っ子に斬殺された(昔鎌倉にいったとき、暗殺者の公暁が隠れたとかいう、あの大銀杏を見ました。数年前の暴風雨で折れてしまったそうですが)こともあってか、悲劇の貴公子なイメージが強いです。「暗殺は北条が黒幕」「後鳥羽上皇は実朝の死を望んでおり、官位を次々与えて位負けして死ぬ「官打ち」の呪いをかけていた」「実朝も自分が幸せな最期は迎えられない、と達観していた」とか。
ところが、この本ではそんなイメージを覆す実朝像が描かれています。
実朝は北条の傀儡?→自分で裁判に決を下し、北条義時と対立しても退かなかった
後鳥羽上皇は呪いをかけていた?→上皇に忠誠を誓う歌を送るなど、実朝と上皇の仲は良好。
鎌倉御家人からは文弱将軍と批判された?→一部の御家人の愚痴の可能性。そもそも、京都の公家文化にあこがれる御家人は多かった。
かつての有間皇子のときも思いましたが、なんか、イメージ変わりますね。

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