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まぼろしの将軍様

  • 2014/09/07(日) 19:33:55

伊那史料叢書1「信濃宮伝・浪合記・伊那郡旧記抜書・堀氏代々家伝記」
(信濃教育会下伊那部会編纂・大正四年)

鎌倉と室町に挟まれた南北朝時代、朝廷が二つに別れたなら将軍も二つに別れていました。一方は北朝を奉じる室町幕府、足利家。
もう一方が、南朝が任命した将軍たちでした。こちらは護良親王に象徴されるように、親王が任命されています。征夷大将軍に武家以外が任官するのは以外なようですが、前の鎌倉時代に六代宗尊親王から最後の守邦親王まで3人は「親王将軍」といわれていましたから、当時の人には武家将軍より馴染みがあったかもしれません。
護良親王は父の後醍醐天皇と対立して鎌倉に追放された後暗殺されますが、その後も将軍は置かれます。この本の主人公、尹良親王(ただよし しんのう)もそのひとり。信濃宮といわれた宗良親王と井伊谷の豪族・井伊氏(のちに徳川四天王・井伊直政や大老・井伊直弼をだす)の娘の間に産まれ、新田氏らと関東を転戦。しかし利あらず、信濃から井伊谷方面に撤退しようとしたところを、信濃浪合の集落で捕捉され、辞世の句

思いきや 幾瀬の淀を しのききて この浪合に 沈むべきとは

と詠んで、合戦の末に自決しました。

・・・いや、したとされています。実は、この尹良親王はこの「浪合記」以外に伝記も記録もないらしく、本当に征夷大将軍だったのか、そもそも実在したのかすら不明です。この本が刊行された大正の時点でも「浪合記」の内容は「俗間に流布すること頗る多けれども、書中記載の事実動もすれば荒唐無稽にして史家の採らざるもの多し」として、伝説を記録したものではないか、としています。
ただ、いまの長野県浪合には尹良親王のお墓もありますし、彼を祀る神社もあります。だから、まったくの作りごとってわけではないようです。
あと、この「浪合記」によれば、尹良親王には子供がいて無事逃げ延び、尾張津島に土着したとか、親王に仕えた世良田氏は、のちの徳川氏の祖先であるとか、これまたホントかどうか謎なことが書かれています。謎なのは親王本人だけではないようですね。

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